商品開発やマーケティングの企図において「消費者のインサイトを突き止める事が大事だ」というのは尤もな話だろう。日本で用いられ出したのは10年くらい前からか。“インサイト”もキャッチコピーみたいなもんなので、そんな言葉が流通しようがしまいが人間や消費者・想定顧客の心理、社会の変容を洞察しないことには何も始まらない。さらにどんな言葉も不確かだから、語る人の世界観の範囲で見えているものも意味合いも異なる。「インサイトを定義しろ」と言われても無理、というか矮小化せざるを得なくなるからやらない。偉そうな言い方で恐縮だが、物事を深く考察できない人や自らの心の状態を観察できない人は多い。こうした人が定義する「インサイト」とはどうやら“隠された本音”ということになるようだ。“建前ではない方”だろう。この場合においては、本音を言わない人は自分のインサイトを自覚している、ということになる。本音を飲み込み、心にもない態度を取らなければならない状況は時にあるのかもしれないがそこには「そうしないよりはマシ」という合理的な意識や判断があるはずだ。何を持ってして合理的かは極めて属人的なものなのでこれ以上は触れない。“隠された本音”、“建前ではない方”が仮にインサイトだとしたら、そうした理解から結果的に生産されるものは過剰品質やリスク・コスト・ベネフィットのバランスを示さないナイーブさ、軽薄な演出だ。いずれも社会を痛めつけることになる。
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テレビで大都市圏満員電車の映像が流れると「人間の尊厳はどこへ消えたんだろう」と感じざるを得ない。あの箱の中の99%の人たちは、何も好きで詰め込まれ往復輸送されている筈もない月-金。感受性のスイッチをOFFにする他ない。あるいは環境に育まれる無関心、鈍く静かに覆う虚無感。CMを挟み、スーパーの客寄せイベントでワゴンにどっさり積まれた唐揚げを所定のビニール袋に詰め放題のロケシーンが流れる。首尾よくビニールを引き延ばし、唐揚げひとつひとつの形状を瞬時に判断しながら隙間を呪うように躊躇無く押し潰して行くおばさん。「そこまでやるのか…」と呟いた時それは序の口で、おばさんが本領を発揮したのはそれからだった。仕上がりはもはや食べ物と言うよりも焦げ茶光りのするクッションになっていて、なんだか、生き物とか食とか流通とか商売とか人生とか加齢とか地域性とかメディアとか視聴者とか文化とか日本とかアウシュヴィッツとか真っ黒なフライヤーとかおばさんの歯並びとかクロックスとかいろんなものが去来した。ここでさっきの満員電車がリンクする。「気持ち悪い」「おぞましい」それらを通り越して「何かがおかしい」。他方インド、ムンバイの過激すぎる満員電車に憐れみを感じないどころか清々しささえ感じるのはなぜだろう。あれに乗りたいとは思わないが...。そう言えば唐揚げおばさんは「ご近所にお裾分けする」と笑っていた。この「何かがおかしい」は解明できるものだ。
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インサイトに関連した書籍は人気があるようで、読者は商品開発やマーケティングに関わる人が占めているのだろうけど、見つけ方は見つかっただろうか。成功事例からインサイトを後付け解説するのは容易い。問題はまだ見ぬ未来を手繰り寄せることだし、定量調査で導ける類いではないことだ。糸口と考えられるのは、物事を深く考察する能力や自身を観察する能力は、比例し、他人や社会を考察・観察する能力と“潜在的”に合わさっており、これをどう“顕在化”させるか、という道筋。愛情の対義語は無関心という言葉も有るが、追求する価値十分な面白いテーマだと思う。最近のアイデアとして、インサイトは“匂い”のような存在ではないかという閃きがあった。両者ともに掴みどころがない。好きな匂い、嫌いな匂いというのは体験や思い出せない記憶と強く結びついているし、ある人が感じる特定の匂いにも領域やレイヤーが存在していて、それは全体的であったり相対的であったり重複していたり独立していたり時間軸で変化したりする。誰かにとって好ましい匂いも別の誰かには忌避する匂いであったりもする。心理学だけでなく遺伝学的な要素も生物学的な要素も絡む。さらに自身の匂いの感じ方を決定づけた原初体験やきっかけを探る事は自らを知る(劇薬ともなるが)近道だ。普段意識もせず理屈にならず説明できないけど、突きつけるとハッキリ反応が起こる。匂いとインサイトの構造的な相関は深いから、これはヒントだ。
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ある男性経営者が女性主力の職場環境を良くしようとアロマテラピーをオフィスに導入した。そこには芳香漂うがスタッフの雰囲気は暗く重い。来客には好評だと言う(そりゃそうだ)。この場面の(スタッフの)インサイトは何だろう。 複数思い当たる節があるが、それは真に「スタッフの声にならない声」領域レイヤーから発生するインサイトだ。男性経営者はスタッフの事を(彼なりに)大切に考えている。この時、本音よりも遥かにヘヴィーなインサイトの可能性が見えていて、それを彼に伝えればどうなるだろうか。雰囲気が気まずくなるのは必至、激怒するかもしれない。仕事を、顧客を、立場を失うかもしれない。「挑戦する必要はない、それは越権かもしれないし何より自分を守らなければ」これは現実的な判断だ。クリエイティブな視点を持つ人程感じ取るであろうインサイトがマーケティング業界でここまで注目されながら、なぜ皮肉にも活かされないのか。そもそも身も蓋もないインサイトをクライアントと議論するだけの土台や人間関係が築けていない、それ以前に議論の土俵に立っていない。インサイト分析が奏功したプロジェクトは少なくとも赤裸裸な実体評価や勇気とリアリティのある対話が積み重なっている。日本でインサイトが今ひとつ効用を発揮できないのは、洞察の弱さや的外れな特定に加え、いざインサイト(真実)を直視できない硬直した現場と失うことを恐れるマーケティング担当者の不都合な事情のインサイトが邪魔をするからだろう。