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2018-06-27

不可解さや不合理さをデザインに組み込む

これは結構ヤバイ(あえてもう一度言おう、ヤバイ)エッセンスなんですよ。 「不可解さ不合理さを賢くデザインに組み込むこと」。恐らくはデザインやクリエイティブが世界に通用するか否かの分水嶺はココにあります(もちろんクオリティは高くて当然です)。欧米の優れたデザインはこのエッセンスを確信的に忍び込ませていて、これはアヴァンギャルドを操るデザイナーと成熟したデザインリテラシーを有する社会の相互作用から成立するものです。日本の場合「形態は機能に従う」という思想の前に思考停止しているように感じられるのは私だけでしょうか。合理性や効率性、緻密なシステム、シンプル・ミニマル、過剰なユーザビリティ、利便性、安心・安全。現代日本の現象に最適化された設計思考はあまりに内向きで、日本人ならではの仕事の丁寧さや完璧主義、潔癖さは評価に値するのかもしれませんが、同時に息苦しさや悲壮感さえ感じられる。手法が目的化してコンセプト不在、あるいは取ってつけた希薄感。

「形態は機能に従う」デザインが社会に有用であることは明白ですが、ひとつの抽象レイヤーや特定の分野に限った議論と解釈すべきでしょう。「形態は機能に従わなければならない」という思想を不可侵なデザインルールと理解してしまうのはソリューションの幅や選択肢を狭めます。また「ある局面や状況において、求められる機能とは一体何なのか」これの定義には、デザイナーの世界観や実力の違いが如実に表れますので、一体誰に設計を依頼するのかも依頼主の世界観です。善くも悪くも同じような世界観や価値観の人間や組織同士が仕事を組む事になるのは自然なことなのです。同調圧力や妙な緊迫感漂う日本社会、人間よりもシステムが上位に位置する都市空間の中から、欧米を凌駕するようなコンセプトやデザインを生み出す事は実際に難しいことかもしれませんが、昨今は時代の雰囲気、若者の感受性やスケール感にもしなやかで新しい風が感じられるようになっていますね。

「不可解さ不合理さを賢くデザインに組み込むこと」はビジネスの設計においても有用です。成果を上げた先行者を追随する模倣者は常に出現するものですが、ビジネスモデルや運用、経営手法に見られる不可解さや不合理さの場合は意図的に狙って組み込む場合もあれば、創業者の狂気にも近い衝動や情熱、没入の帰結の場合もあります。特に後者においては模倣も困難な上、仮に装いや手法を模倣したとしても先行者との容赦ない比較の目が消費者や社会から注がれ、「浅はかな魂胆」は見透かされ、無惨な撤退を余儀なくされます。もはや本質的でないものは存在を許されないのです。追随する模倣者が次から次へと表れるほど、先行者が輝きを強くするという「からくり」が意図せずとも働きだすと、先行者は自らの事業価値を高めることだけにリソースを集中投下することが可能となり、さらに事業がパワフルになるというマジックです。

「マジック」という言葉を用いましたが、デザインやクリエイティブ、ビジネスや事業開発の醍醐味のひとつは、個別に見ると不合理でバランスを欠いているように見えるものが、全体(生態系)では巧みに調和し、最終的にはしっかりバランスしていることです。個別のバランスに注力し全体でバランスを欠くことは論外ですが(しかし日本の大手企業に多い)、個別のバランスを積み重ね全体のバランスも図れていたとして、それは予定調和に過ぎず、そこから「誰かの心を揺さぶる何か」「思わぬ感動」を創出することはできないでしょう。指名されて選ばれる対象とはならないのです。飲食店のメニュー構成や価格設定等は経営思想が顕著に現れますが、個別にはグッチャグチャにバランスを崩すことで驚きや感動を演出し、客の気分を高揚させ、結果的に単価や評判や集客が上がり、最終的にはキッチリとバランスさしめている事業者はなかなかにエレガントです。「なんだか良くわからないけど魅かれる」「合理性を全く無視した意思と潔さに惚れた」。モノよりもUXや同時代性の実感に重きが有る2018年、昭和のおっさん大丈夫かよ(私も昭和のおっさんですけどね)。

アヴァンギャルドは前衛的なアプローチですから、既視感へのレジスタンスです。それは時に人を不安にさせたり、心をざわつかせるかもしれませんが、一方ではドキドキしたり電流が走ったりするものでもあります。しかしアヴァンギャルドだけではアートに寄り過ぎ、コミュニケーションに不協和を生じさせてしまうでしょう(デザインの狙いが不協和なら良いのですが)。緻密に設計されたコミュニケーションデザインの中に「不可解さ不合理さを賢く組み込むこと」は余白やアソビ、チャレンジのためのスペースや包摂性を社会に創出することにも繋がります。不可解さや不合理さの中に込められた文脈や謎掛け、構造的な仕掛けを楽しむ事は答えなど必要としない知的で贅沢な行為です。「形態(あるいは原初体験)が最重要、機能は二次的要素」そんな視点があっても構わないし、アートのスパイスを隠し味に効かせても良いでしょう。何よりピュアで徹底的な存在だったり、くだらない事に夢中になっている人って楽しいじゃないですか。日本的な「もったいない」と合理性・効率性とは似て非なるものだと思うのですよ。今に生きないのは「もったいない」ことです。

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