ブランドデザイン : 株式会社折紙 / ORIGAMI INC. | 沖縄 – 東京

2017-10-20

その「ストーリー性」って一体何ですか

何だかモヤモヤする言動だなと常々感じていました。「ブランドをどう(運用)するか」、「戦略やデザインはどうあるべきか」などというテーマの会議で、この「ストーリー性」が持ち出される場面は多いものです。「ブランドにはストーリー性が肝心なんだ」と熱を帯びて力説されます。正直あまり意味が分からなくて混乱するのですが、私なりにこの“モヤモヤ”の正体を突き止めないと気が済まないので、この機会に考察してみたいと思います。まず前提として、議論の主体(テーマ)が存在します。それは地域や事業や会社や商品やサービス(の企画開発)、あるいはもっと分解されたもの、シンボル・ロゴやパッケージ、広告コピーやキー・ビジュアルなどです。ほぼ全ての(ブランドと成りうる)物事には背景や文脈、誰かの情熱や苦心の痕、ユニークなアイデアや感服するような行動、奇跡としか思えない一会が存在します。しかし当事者にとってはあくまでも成り行きで「殊更声高に語る程でもない」と慎ましさを見せたとしても、否、そうした動機やプロセス、人間模様にこそ心を打たれる風景が広がっているとき、これは自ずと、手にしてほしい人に適切に伝えなければならない物語となります。何ら特別なことではない、コミュニケーションデザインの基本的・必然的な仕事の範疇です。

一方「ストーリー性」という意図に散見されるのが、創作絵本のようなエピソードを後付けしたり、唐突にキャラクターの世界が展開していたり、質素に伝えるべきものをプロットを組み替えて過剰な物語調に変換したりというような“演出アイテム”や“演出テクニック”を指す主張です。物事や市場によってはそうした演出上の“フック”が有効な場合も確かにあるでしょうし、必ずしも否定するものではありませんが、拙稿の文脈の「ブランド≒ストーリー性」かのような議論というものがブランドを深化させることはほとんどありません(沈静化しつつありますが行政が大好きな地域ブランディング≒ゆるキャラなど顕著、あとアートとか忍者とか)。「ストーリー性」という言葉が飛び交うとき、その出力イメージや定義が共有されていないだけでなく、とてもつもなく表層的な議論に流されやすく、かつ、それなりに思考停止を誘引する反論しづらいワードでもあるため、何となくフワフワした合意形成に着地するというパターンに陥りやすいように思われます。ブランドに固有の文脈や物語が息づいていることはブランドたる所以でしょうし、これを捉えて適切に伝えることはブランドコミュニケーションとしては当然。ここに「ストーリー性」という曖昧な言葉や主張が入り込んでくると、本来のブランドデザインの本筋から離れ、実体や根拠へのアプローチが手薄になってしまいます。

「ストーリー性」の議論そのものが実体や根拠へのフィードバックを堰き止めてしまう事態は避けなければなりません。もしブランド側に実体や根拠が薄いならば、コミュニケーションのテクニックだけでどうにか繕うことは社会に漂流物を生み出す原因となります。世の中を冷静に見渡せば、実体にフォーカスすることなく空疎(リアリティのない)なコンセプトやスローガン、ストーリー性から作り出された物事の残像が、当事者意識も成す術も不在のまま、カテーテルによって形骸維持されている光景を目にすることがあります。ブランドの議論においては、まず実体を的確に洞察・評価することが先で、その結果、もしその対象がブランドたり得ないならば、実体をユニークで強く、価値を高めるための議論や取り組み、転回が欠かせません。こうした取り組みを基盤とするなら、語るべき物語は自ずと包含されますし、これを誰に対し、どう適切に伝えるかは、その後のコミュニケーションデザインのフェーズです。(新規のブランド開発ならコミュニケーションデザインから戦略やプロダクションへ逆算する方法も有効ですが、ここでは異なる議論とします)結論としては、情報を受け取る側の共感や感情移入を促進するための技術論と、硬質なブランド開発・戦略の議論とが整理されず、手順が放棄されたまま同居してしまう雰囲気、その居心地の悪さにモヤモヤしていました。すっきりした。

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