ブランドデザイン : 株式会社折紙 / ORIGAMI INC. | 沖縄 – 東京

2017-08-10

変態期間の若者は生息していた

つい先日、20代中頃の若者から「Tシャツのデザインをして欲しいので見積もりをくれ」というディールの話をお持ち掛け頂き、思わず噴いたわけですが、私は気を取り直し「盆踊りの輩Tシャツでも作りたいわけ?」と伺ったところ、「大きな野望に向かって資金を作りたい、沖縄っぽいTシャツを作って観光客に売れば一山当てられる」というキラキラした計画を披露してくださり、私は初対面で二度噴くという貴重なひとときに与かりました。突っ込みどころを外せば何一つ残らない話の中で唯一の希望は「良くわからないけどビッグになりたい」というオタマジャクシからカエルへ移行する変態期間特有の居心地もやり場もない熱波のエネルギーであり、もうそんな気持ちの悪い脂性の若者(良い意味でね)は、成人式をフィナーレにすっかり漂白され、絶滅してしまったものと憂いていたわけです。この若者が愚かか利口かとなると、世間的には厳粛に前者だろうし(個人的には嫌いではありませんが)、こう..ちょうど良い中間はないものなんですかね。

一方で物凄く残念な気分になったのは「目標のために資金を獲得するための手段(目的も微妙ですがこれは置いて)として観光客相手に国際通り辺りで沖縄っぽいTシャツを売る」という雑念やら稚拙さです。これがもし透明なTシャツでも売りつけて「観光産業は裸だ」などと喧伝するというならばニヤリともしましょう。カオス極まる世界の2017年現在20代半ばの若者が数十年前に誰かが敷いた、疲弊しきっている商売のこじんまりとしたフレームやフォーマットの残像に追従し、自らの手で新しい価値を創り上げる気概もアイデアもなく、エネルギーだけは持て余し、誰も幸せにならないやり方を「また」繰り返そうとしています。こんなことを書くと「最近の若者は〜」などと思考停止する老害かのように思われても仕方ありませんが、私はこの若者に僭越ながら申し訳ないとも思っています。子供大人とは言え成人しているわけですから一義的な責任は当人ですが、今の社会を作った大人の責任、未来への方向感を示せていない大人たちの責任は免れません。

せっかくのご縁ですから、私自身の社会や世界の見え方についてお伝えし、事業を構想したりマネジメントを行う上でのいくつかの実務的なアドバイスをしました。直接参考になったかは分かりませんが、おそらくは一人の若者の人生に何かを刻んだ(引っ掻き傷かもしれませんが)ことにはなるでしょう。私は彼を受け入れましたし彼は私を(交錯する対象のひとつとして)選びましたから、お互いに人生の欠片を差し出して誰の言葉でもなく(語彙が貧弱でも)自分の言葉で語る以上、はるかに年下だろうと敬意は払います。もちろんこの目の前の若者だけを取り上げて全体事かのように悲観するほどナイーブではありませんが、彼の思考や行動も象徴社会の現象の一部として引き受けながら、手前どもの会社も社会の中のメディアのひとつとして「まだ捨てたものじゃない未来」を提示し、若者や子供たちが少しでも歩みを続けて行こうと感じ取れるような発信をし続けなければと考えています。「25歳の君よ、老人の敷いた構造の養分になるなよ、軽々と飛び越えて未来をデザインしよう」。あとリクルートスーツもやめれ。

 

 

 

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