2019-11-22

会社の寿命に思うこと

「んで、何やってる会社なの?」と未だ聞かれる事も多く、こんな不可解な会社にも関わらず丸々13年が経過、14年目の年度に入っているという事実をどう受け止めれば良いのだろう。事業活動をしていると「こうも色々なことが起こるものか」と半ば人ごとのように感心することしきり。今となっては良い事も最悪な状況も愛おしい…までは行かずとも懐かしくは感じられる。遠い過去には自身、装置産業に乗り出し痛い経験を積んだ事も有り、こうした類のビジネスには二度と手を出すまいと固く思った。その一方デザイン会社は労働集約のクライアントワークだから事業スケールを望むには適さないかもしれないが、立ち回りの処世術や対人センスがあれば意外と何とかなりやすいのかもしれない。弊社と言うか私の場合、この会社を興した問題意識は柄にもなくピュアだったり(社会や誰かの役に立てる会社を創りたいと思ったわけ)、プレイヤーとしては経営や事業に対する理解や実務スキルを恐らく人より少しだけ多く持ち合わせていた。さらには諸行無常の精神と孤独に耐える静かな忍耐力は個人の資質として目立たずとも寄与しただろう。創業から今日まで曲げずに徹しているルールは、ブランドデザイン会社である以上クライアントとのセッションや議論を重視し下請け孫請け仕事を一切受託しないと言う事。スピンオフやスピンアウトでもない会社が空腹極まる時に目の前の果実を掴まない事は苦しい。しかし今となればこの選択(やせ我慢)は掛け替えのない多くの知見と自信を齎せてくれたし、結果としてこの会社を生かしてくれた(賢明な皆さまなら想像力でもっと無難に行けるはずですよ)。

 

会社の生存率などは良く見聞きする話しだ。これまでも度々、人様の会社の始まりや終わりに立ち会ってきた。身も蓋もない事を言えば、上手く行く事業や会社は上手く行くべくして。立ち行かなくなる事業や会社もまたそうあるべくして。後者の場合、リスクを評価した上で一縷の可能性に掛ける事もあるが、大体は「少なくとも今始めるのは辞めとけば?」と言う話になる。上手く行っている事業や会社でも、ある日突然、自意識肥大のビッグバンとしか思えない経営判断に血迷ったり、下世話な誘惑と経営者自身の闇が絶妙に引き寄せ合い自滅するケースなど人間ドラマに事欠かない。人間の弱さに慄きながらもまた、勇気ある経営者の生き様に感銘する事もある。そして「運」の存在。「運」を「運」だと冷静に評価できれば「不運」のサインも見逃さず、ある程度避ける事もできて有効なのだけれど、実際これはかなり難しい。実力と勘違いして天上まで持ち上げられ容赦無く奈落行きのパターンは若手経営者に多い。受け入れるしかない天災や事故もある。ただし万事塞翁が馬。最後の最後にしか答え合わせができない事もありましょうし。また、これだけ国際情勢や社会や技術の動態が激しいとイノベーションのジレンマよろしく成功体験は事業機会の阻害要因にもなってくるから、自らを破壊してWHY?からリビルドする(世界観のデザイン思考)事を繰り返して行ける風土の組織でなければ存続はますます難しい。ゴーイングコンサーンの意義もこの20年程で薄れてきて、資産や箱よりも有機物としてどうあるべきか、そんな風に変わってきた。社会の持続可能性が優位となる大きな潮目の中で一企業の小さな封建社会がこの流れに擦り合わなければ自ずと会社の寿命も尽きるだろう。新陳代謝も然るべきだ。

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