ブランディングの現在地とこれから 2/2

デザイン経営と同様に、未だ、“ブランディング”とラベル付けされた言葉の概念や効用・効果も分かりにくいものです(実に情緒的・定性的に過ぎる為、これについては「ブランディングに投資するメリットとデメリット」と題し改めて別稿で発信します)。さらには、ブランドのタッチポイント最適化、つまり“見た目や印象側”を統一する・整える施策であるかのように一般的な解釈が寄りすぎてしまった現状を軌道修正したいデザインファームは、経産省の宣言を借り、“デザイン+経営”という平易な組み合わせ造語の方が耳触り良く導入を推し進めやすい、そんな事情もあろうかと推察します。かなりの時間、言葉の定義に振り回されてしまった事は社会や事業者、サービス提供者にとってもあまり望ましい状況では無かったはずですが、誰もが自由に解釈し、物を言える空間ですからやむを得ないとし、そろそろ地に足の着いた理解へと収斂されて行く事でしょう。
たしかにブランディング黎明期は、単に見た目やイメージを整えたりする事で優位に立てた時代もありました。しかしそうした身のこなしを備える事が閾値となってしまうと、繕われただけのパッチワークのような“外面”に消費者は冷ややかに拒否権を行使します。また、消費社会もこれだけ成熟し、ある種のグロテスクささえも帯びると、かつての、“皆の豊かさ”から“私の豊かさ”、そして“皆の豊かさと私の豊かさの両立”へと変遷して行く流れはごく自然な事のようなに感じます。皆の豊かさだけでも私の豊かさだけでも世界と社会のサステナブルは遠く、相互の対立と発展的な統一の先に、これからのブランディングの役割が広がっているようです。
ORIGAMIはブランディングが社会生態系における“事業エコシステム”の構想・設計・運用そのものへと変貌して行く可能性に着目しています。有形無形のサステナビリティを本気で実現しようと臨む事業とは、シンプルに表現するなら“地球環境と人と社会の役に立つ事業”です。欺瞞や矛盾を覆い隠す美辞麗句や黙認のスタイルはもはや残像に過ぎず、数多の事業者も残像を追い掛けるようでは事業がシュリンクしてしまいます。壮大な領域を取り扱える知性や情報を持ち得ない限り、事業スケールに依らず舵取りは難しい。“普遍的な美しさ”と“美しいが普遍的で無い事”との間に横たわる哲学的イシューを探索し、新機軸の問いを立て続けられる知的胆力、これを経営や事業に実装する一連のプロセスと循環が、まさに“ブランディング”となり得るかも知れません。
ここまで読んで頂くと、無闇に意識だけは高そうな戯言と切り捨てられてしまいそうですが、意外にもこうした視座がリアリティを発揮する未来は、すぐ目の前に迫っていると考えています。ブランディングが社会生態系における“事業エコシステム”の構想・設計・運用そのものへと変化する時、その、一見抽象的、しかし本質的な概念を個々の経営や事業へと実装し機能せしめる総合力がブランディングやブランドデザインを標榜するデザインファーム・サービス提供者の評価となるでしょう。とても難易度の高い、しかし挑戦し甲斐のある領域です。この辺りの感触を捉まえられるか否かは、全てのプレーヤーに求められるセンスとも言えます。マクロとミクロを絶えず往復し、そこにフラクタルを見出すダイナミックな眼差しが泥臭い現場の希望となるはずです。
ブランディングの現在地については、別稿「ブランディングに投資するメリットとデメリット」でも合わせて展開します。