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2024.10.21

ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

「そんな事、人それぞれの感じ方」、「文化や年代によっても違う」、「そもそもラグジュアリーなんて言葉がもはや陳腐」。認知は色々です。
日本の場合は端的に「贅沢」と翻訳され“事足りているのにそれ以上の物事を求めようとする”かのようなレッテルがあり、どこか卑しくもあり後ろめたさのようなものを感じる方も少なくないようです。「清貧」という言葉も存在するくらいですからね。羨望や嫉妬の裏返し、あるいは無関心などの心理も…。
また、未だ見られるSNSでの過剰な自己演出の虚栄に忌避感もあるでしょう。
日本社会においては、欧米的で貴族的な分かりやすく煌びやかな「ラグジュアリー」が本質的に馴染まない文化的な土壌があるようには思いますし、バブルの狂乱を記憶する人たちにとっては「それ、一度通過したので卒業しました」という感じでしょうか。

一言で「ラグジュアリー」と言っても、国や気候風土、言語、歴史、文化、地政、人種、宗教、年代、生活や経済力、教育、社会インフラ、教養や社会階層、ジェンダー、時代背景、さらには個人の資質や価値観、人生観、社会的な立場や役割、属するコミュニティー、心理・健康状態等、実に複雑多岐な変数が入り乱れ、また、大きな潮流の中で「ラグジュアリー」自体がその色や輪郭を蠢かし曖昧にしたまま深層意識のネットワークとして漂っていますので、そもそも単純に還元する事には無理があります。だから、「誰が何と言おうとも私にとってはこれが、このひとときが最高の贅沢」で決着しているのなら「それで良いんじゃない?」と言う“ある種の型”に帰結する。

おそらく今、真に「ラグジュアリー」のデザインや開発、プレゼンテーション、デリバリー、運用側に立つ人ほど「ラグジュアリー」という言葉を決して用いないでしょうし、また、安易に「ラグジュアリー」という言葉で括られて消化される事には神経を尖らせているのではないでしょうか。
現代の「ラグジュアリー」を紐解くには、文化人類学と社会学、行動心理学、また経済学や経営学、芸術やデザインも深く関与、昨今の“倫理的”で“インクルーシブ”で“サステナブル”な要請も加わり、かなり広大な領域をどのように捕捉し事業戦略とすべきか、簡単に答えは出しようも無いどころか、言葉の取り扱いを一歩間違えると致命傷を負ってしまうという“地雷”でもあることを熟慮されているはずです。

そうした意味においては「ラグジュアリー」の只中で試行錯誤している分野が苦し紛れに生み出すものより、「ラグジュアリー」に興味も関心も無い、一見全く無関係とされる“荒野”で活動している人たちの中(オルタナティブやカウンターですら無い)から「次のラグジュアリー」がメインストリームへと意図せず位置付けられる兆候も見られ、実に興味深く観察しています。
答えが無いから追求し甲斐があり面白い訳ですが、直接表明するか否かはさておき、特にコモディティではない領域で活動している事業の中の方は、自らのサービスや商品、コンテンツ、事業が提供する「ラグジュアリー」を現在地で定義し、これを更新し続ける必要がありそうです。引き続きこの深淵なテーマについてはコミットメントして参りますが、ORIGAMIでは一応の定義は置いています。また、同時代性の中、比較的平和で安定した環境に生きているからこそ議論できるテーマである事を忘れてはいけませんね。

陰影礼賛の時代でしょうか。