7〜8年ほど前だったか、県内のそれなりに名の知れた広告代理店の役員の方(Hさん、としときましょか)に「おたく目障りなんだよねぇ」などと面と向かって(初対面)大真面目に言い放たれた光景が目の疲れとなって思い出されます。
しかし炎天下、人を呼び付けておいて茶の一杯も出さずで、風情やら侘び寂びやらに欠けるよね。
呼び出し理由は、と言えば自分とこのクライアントにちょっかい出しだの出さないのって、いや別に私たちはお宅さまの顧客リストを入手して何かを吹聴して回った訳でもないし(そもそも営業活動しませんし)。
たまたま、 当該企業さんから直接コンタクトがあり、お困りごとのご相談に対応していただけですよ。
そんな経緯を穏やかに微笑みつつ丁寧にご説明申し上げたら「A社はコッチのクライアントなんだよ」って。
「えっ?」「エッ?」二度目は目蓋を少しパチパチさせながら言いましたけど、
これってもしや「ウチのシマ荒らしてんじゃねーよ」的な事なの?昭和の都市伝説じゃないの?。挙句「あのさ、ウチ通そうよ」。
………………。「ダメだこりゃ、関わっちゃいかん帰ろっ」てなりますよそりゃ。
それから間を置かず、代理店役員HさんはA社担当部長さんを連日連夜接待なさったそうで。お姉さまのお店など行かれたそうで。
あぁそうですか。何か握り合いましたか。しかし今ではそんな“ガハハ”な日常すら懐かしいものです。
話題にもする事も憚れるので放置でしたが、弊社も(最高の)ブランド・ファームの社会的意義を標榜しながら、日々探究と研鑽を続ける中で、こうした下世話な貰い事故もございます。
なぜこのタイミングで思い出したかと言えば、やはり今般の社会情勢に依るものです。
未知の疫病と派生した情報が世界の様々な物事を炙り出し、何につけ容赦無く加速させている状況下、前出の役員HさんやA社担当部長、そして、そんな価値観の支持基盤と機能していた両社は社会的に生存しうるのか、そんな心配が過ぎりました。
そして、そのような旧態の商慣習やマインドから抜け出せない企業や、これにぶら下がる被雇用者が多い事も。
現在時点では多くの企業が当面の手元資金を確保した事もあり、小休止といった様相ですが、私個人的にはかなりシビアなシミュレーションの上で、選択肢の一切を排除せずに構想や整備、戦略の再構築をしています。
社会の文脈や機微を捉えられなければ淘汰は避けられませんし、デザインはよりセンシティブに、そして、大胆(勇気ある宣言)になって行かざるを得ません。
そんな世界で、ブランドの持つ意味や構造自体が変わろうとしている。
そもそもブランディングという活動やこれを推奨する喧伝は自己矛盾を孕んでいる事を正直に認めなければなりません。
つまり、今この瞬間にブランド足り得るのか?その問いに応えられる者だけが、「結果的に」ブランドと認知される(に過ぎない)。
これまではそれで良かった。果実に与れた。
次代はその先からが本番ラウンド、コモディティ≒生存インフラとの曖昧なグラデーションの中で、変数の只中に立ち続けながら特異なポジションを獲得し続けなければならない。無常ですな。
ようやく少しづつ輪郭が掴めてきた感触がある。これはとても難しく、そしてとてつもなく面白い。
ところで、2017年に投稿した以下の記事がこの半年ほど猛烈に読まれているのですが、一体何が起こっているのでしょうか。
他愛もない内容だと思うのだけど。
ご存知の方、教えてください。