沖縄デザイン領域の見過ごせない課題
産業基盤が弱い、ザル経済などと指摘される事の多い沖縄。
しかし、デザインやクリエイティブは物理的な制約を受けることはない。
沖縄を担う産業の柱の一つとしてデザイン・クリエイティブが沖縄の社会や環境に良い変化をもたらし、全国的、世界的にも存在感を獲得する事は可能では?
ではそのためには何が必要で、何が足りない?、活路はどこに。
沖縄のコミュニケーションデザイン領域で活躍するデザイナーの二人を交え、
フランクな雰囲気の中、セッションを行なった。
スピーカー:
Masonry 村山 盛康さん
YACHIYO DESIGN 古堅 八千代さん
スピーカー&モデレーター:
ORIGAMI 奥平 健一朗
沖縄で仕事をするデザイナーの社会的な役割を考える。
奥平 : 私はデザインというコンセプトを使って、沖縄の社会により良い変化を生み出す事は可能だと考えているんです。
今日は、せっかく実力者のお二人に来ていただいたので、日々のデザイン技法やトレンド的な話から少し離れて、そんな壮大なテーマでセッションしてみたいと思います。いかがでしょう?
村山 : 難しいですが大事なテーマだと思います。
古堅 : そうですね、最近のお仕事だと沖縄の“一次産業の二次産業化に取り組む”というプロジェクトがあって、それは“世界と戦うために”とかすごい高い視界がある訳ではないんですけどデザイナーとして出来る事だと、今目の前にある物をちょっと良くする、ボトムアップするという事が私たちがすぐに取り組めて達成できそうな事なのではないかなと思います。
一次二次産業で、本業ではプロであっても、売り方や見せ方が分からない所にデザイナーが入れば、劇的な変化ではなくとも、ボトムアップにはなるんじゃないかなと。それをサポートできる仕組みをいつか作れたらな、という考えは持っています。
奥平 : それはとても大事な関わり方だし評価されるべきだと思うんですが、そうしたアプローチを重視して取り組んでいるデザイナーさんはすでに多くいらっしゃらないですか? 全国の成功事例が個別に取り上げられて注目を集める事はありますけど、産業的なインパクトには至っていないように思います。個人的には今の時代の流れを見ていると少し切迫感を感じていて、あまり時間が無い、のんびりしていられない、沈下の渦を超えられないぞ、と。
特定の物産や工芸にしても、もはや産業や地域全体がフェードアウトしてしまうんじゃないかという印象を持っています。目の前のボトムアップに取り組みつつ、もう一方で高い視座で大きな構想を描けないものでしょうか?
古堅 : 奥平さんには何か、こうしたらうまく行くんじゃ無いかって言うビジョンのようなものはあるんですか?
奥平 : 今の時点で具体的なビジョンというものまでには固まっていませんが、少なくともデザイナーは提言すべき、そうした機会を増やして行くべきではないかと思いますね。沖縄社会のデザイン、ディレクションを論理的・体系的にプレゼンするのはデザイナーの役割ではないかと。
もう少しマシな社会を若い人や子供たちに引き渡したいという考えと、自分の仕事やORIGAMIの事業活動は全てリンクしています。
村山 : なるほど。
奥平 : 機を逸してしまうと後悔が残ると思うんです。社会に刺激を与える事が大事だし、それを受け取った人がまた感化される。デザイナーにはそれができると思うんですけどね。これからを生きる世代に、後年「アンタらあの時サボってたじゃないか ! 」と言われないようにしないと(笑)。
村山さんはどう考えますか?
村山 : 難しいですよねぇ..
もちろんすぐに答えは出せませんけど、現状には矛盾を感じています。沖縄のデザイナーや制作会社において、全てはないですが、本土の下請けをこなすところも多いと思いますし、昔から見聞きします。経営としての判断として決して間違っていることはないのですが、いつまでもオペレーション要員というのはマズクないか、と感じもします。一方で国公立の施設、県内でも規模感のあるプロジェクト、大企業だったり、それらのロゴやリブランディング、企業理念、将来の事業の道筋を作るために並走したりっていうのは本土の大手がやってたりするんです。
でもそれって逆でしょ、ってずっと思ってて。
自分たちを回すために、沖縄の外の仕事に精を出し、自分たちがこの土地で携わってきた生活に密接に関わる大切な事は、沖縄の外から入ってきた人たちが手がけていて、それって本当はもっと悔しがるべきなんじゃないかなと、ずっと思ってます。
ボトムアップは大事なんですけど、グローバルな環境の中で沖縄のポテンシャルを沖縄がしっかり世界へ発信できるという事はデザイナーひとりひとりがもっと意識しなきゃいけないんじゃないかと。経営バランスとの葛藤もありつつ、諦めたく無いという気持ちはありますね。そこを妥協しちゃうと打破できない、みんなどこかでそう思いながらも現状が続いて来ている。…だから諦めない姿勢って大事だと思います。
古堅 : でも背伸びしなくても、“らしさ”をしっかり拾い上げて表現し、プレゼンテーションするだけで、世界の人が評価するものってたくさんあるんじゃないかな。表現やプレゼンテーションが追いついて無い、発掘されるに至っていないものってたくさん残されていると思うし。
奥平 : それについては外から来た人がうまくやっているケースは多くありますね。我々自身が気づけていない足元の価値、どこの地域でも言われるんですけどね「余所者が変える」って。沖縄の外側の人が沖縄の価値を発見して開発してくれるって歓迎すべき部分も大きいですけども、コアな領域をごっそり持って行かれるって言うのは、そろそろ変えないとな、と思いますね。
村山 : 自分の携わったプロジェクトでも一概には言えないにせよ、クライアントに対して「その道はダメだよ安易だよ」って感じる事もあるんです。その選択肢はビジョンに繋がらないと言うか..。ビジョンを創る事は簡単なことでは無いですけど、責任も伴いますし。それが業績に寄与するのかと言う課題だったり..。本来はビジョンを描いて、そこへの道筋を作らないと、いつまでも目先のお金を稼ぐために奔走する事になってしまう。デザイナーも一緒になって考えないといけない事だと思います。
奥平 : そうなんですよね。「貧すれば鈍する」って言うふうになっちゃいますよね。日々の事に追われて、自分の美意識を蔑ろにしてしまったり、見ないようにして割り切って行ったり。でもそうしていつの間にか情熱やエネルギーも失われて行きますよね。デザイナー自身が個人であれ組織であれ、しっかり事業として成立し、ある程度豊かに回せるようにならなきゃいけないし、そのために、構造的にどうすれば良いのかって問題、ずっと変わってないと思うんですよ。
いつまでも本土の下請けでオペレーション要員としてうまく使われるって言うのも、まぁ個人のキャリアとして若い年齢の内は、自分を訓練すると言う意味では良いのかもしれません。ただ30代、40代の年齢に差し掛かって、ライフステージも変わり、結婚や出産、育児、さらに50代くらいからは自分自身の変化に加え親のサポートだったり、みんな仕事だけじゃなくて人生の諸々に囲まれながら生きていますからね。そうした中でも誰だって良い仕事をしてしっかり評価されたいですものね。
40代デザイナーのリアルな課題と未来像
奥平 : 沖縄にも、現状に対して「何か起こさなきゃ」っていうクリエーターの皆さんのコミュニティはあると思いますし、お互いが情報交換したり刺激し合う事はとても大事で意味があると思うんですが、もう少し、全体的な視点で構造的な問題についても議論して行けるようになると良いですね。
でもこんな話しを出した時に「えっ突然何言っちゃてんの?」みたいな反応されるかもしれないですけど誰かが提示をしないと論点が浮かび上がらないですよね。イシューを提示するって言うのは、私はデザイナーの重要な仕事なんじゃないかと思うんです。「そんな大袈裟な大掛かりな事は自分には関係ない」と過小評価するんじゃなくて、ある程度経験してきた我々の世代が若者や子供たちに多少マシな社会を引き渡して行くことは義務じゃないのかな。茹でガエルのような状態で、後になって激しく悔やんでも遅すぎますよね。
今回ORIGAMIのwebサイトリニューアルや、それをお二人にお願いした事にも繋がる話しです。
普段デザイナーさん、クリエーターさん同士ってどんなテーマで話しをするんですか?
古堅 : なかなか忙しくなっちゃて、仕事の話しばかりになってますね(笑)。前々から“雑談する会”をやりたいって思ってるんです。仕事の実務的な話しから離れて、今みたいに社会へ目を向けた話しもしていかなきゃ行けないなと。
村山 : 年齢的にはみんな「大変だなぁ..」って話しばっかりですね(笑)、時代がタイトに入って来たので。
奥平 : 本当タイトですよね。この変化や変遷に気づかないともの凄く危なっかしい。残像を実体があるかのように追いかけている危うさを感じます。
古堅 : 40代に差し掛かった時に「さぁどうする?」って話しをしていて、50代になった時に自分たちのプロフェッショナルなあり方がイメージできていない。ロールモデルも分からなくって。振り返ると大学生の時にもっと貪欲に勉強すべきだったなと。哲学、文化人類学、社会学とか、せっかく授業が取れる環境はあったのにって…。今ようやく社会や歴史に関する本をすごく読んでいますが、それを20代の頃にもっと学んでいたなら今自分たちの仕事や生き方や方向の選択に、すごく役立ったんじゃないのかな、と思いました。
奥平 : 情報とも縁ですからね。
村山 : 確かに。
奥平 : 20代の時にそう思えなかったのなら、誰かが薦めたとしても入って行かなかったでしょうね。だから今が遅いって訳では無くって、今がタイミングなんだと思います。
古堅 : 難しさを感じるのは、“沖縄の社会を良くしよう”みたいなテーマを語ると冷やかされるような空気感があること。身の回りの界隈の話しであっても遠ざけられる雰囲気があります。もっと大きな構造で捉えないと解決できないのかもしれない。
奥平 : 繰り返しになりますけど、今の時代デザイナーの役割がすごく問われていると思います。目の前の仕事にしっかり取り組みつつも、デザインの力を応用し領域を横断して大きなデザインを描く事にも同時に視点を向けてトライしないと本当に何も変えられない。それは政治や行政の役割だとか、アカデミア、あるいは社会活動をしてる人の役割だとか考えてたらダメだと思う。むしろそうした人たちをも巻き込んでデザイナー発信で沖縄をリ・デザインする事を担って行かないと。私は政治よりも事業で世の中は変わって行くように思いますね。
古堅 : デザインって凄く強力なツールだと思います。だからこそ、その力を現状の構造を強化してしまうものに使わないって言う事も大事なのかもしれないです。
奥平 : 凄く大事だと思います。その視点を持つだけでも意味がある。自分の仕事の先端に起こることが一体何なのか、特定しなきゃ行けないと思うんです。関わり方やアウトプットの結果、どんな事が生じるのかと言う事に責任を持たなきゃ行けない。それを見通せる力が備わっていなければならないですけどね。デザイン業界のディテールではなく、その先にある人や社会に及ぼす影響に注目して、それがもし幸せな姿にならないなら“変える、止める”と言う選択肢があっても良いと思います。
村山 : 自分たち世代の課題としては、沖縄の重要な大きなプロジェクトの仕事を沖縄のデザイナーがやっていることが少ない、もしくは末端で、トップのディレクションには入っていないかもしれない。やっぱり選定する側の基準としては、母体の大きさや“安定して泳げているか”みたいな、そんな感じがしてて。そこで言えば自分も含めて必死に泳いでいるので、さっきの「学生時代にもっと学べば良かった」って話しにも通じますけど、気を緩めると沈んでしまうような泳ぎ方じゃなくて、もっとスマートに泳ぐための術を学んでいれば良かったのかな、みたいな。
古堅 : この年代になって、これからは益々「そこをどうにかしないと」って、いつも話してます(笑)。
奥平 : 社会的、法的、資金的、リカバリー力、折衝、リスクヘッジ、手続の踏み方とか包括的にプロジェクトをグリップできてクライアントや発注者に安心感や納得感を感じさせるやり方や座組みは必ずあるんじゃないかなって思うんですけどね。クリエーターコミュニティをそうした機構体へとアップデートできないものですかね?
村山 : 最近自分より若いクリエーターチームと仕事で絡んでいるんですが、中小企業から個人まで予算感はプロジェクトによってそれぞれであっても真摯な姿勢で提案のクオリティの高さは変わらないんです。そんな姿勢も含めて自分自身とても刺激を受けていますね。「大したもんだなぁ」と。始めは必死に泳いでいた彼らも、いつの間にか、ある程度の泳ぎ方も身につけていて..。いやぁ自分ももっと頑張らないとなって思いますね。
奥平 : 若さって周囲からもアプローチしやすいし、勢いもあるし、体力もある、そういうチームが世の中で“賢く立ち回れる”って素晴らしいですね。
村山 : 賢い立ち回りこそデザイナーは大事かもしれないですね。
奥平 : 時代にうまく乗ってるっていうのはありますよね。逆流に逆らうのは大変ですからね。順流にしっかり乗れてるってのはあるんだろうな。
すぐに行動に移せる素朴な突破口とは?
奥平 : ちょっと話しを大きく拡げすぎたかもしれませんが、たまにはこうした思考実験も良いんじゃないですか?
村山 : (笑)そうですね。こんな機会が無いとデザイナー同士ってあんまこう言う話しはしないっすね。
奥平 : 照れくさいんですよね(笑)。
古堅 : 照れくさいです。そんな空気あります。
奥平 : 「今さらね..」みたいなね。私は普段からこんな事ばかり考えているからあまり感じないですけど、照れ臭さも分かるんですけど、その、照れ臭さとか気恥ずかしさのハードルを下げて行くことは大事なんじゃないですか? こうした発信が増えて行けば自然とハードルも下がって、当たり前のように話し合って行くイシューになって行くんじゃないですかね。
古堅 : 大事ですね。
村山 : 一番すぐできる事って言えばまさしくその“照れ臭さのハードルを下げる”ってことがひとつの突破口かもしれないですね。
奥平 : 言葉にすることに心理的な障壁を感じないようになれば良いですね。開かれた雰囲気や空気に変わって行けると思いますね。発信が当然になって気運が高まると、具現化に近づいていけると思う。諦めてる姿を見せないで、希望を感じさせる背中を見せないと。「大人になるのも悪くないな」って。
古堅 : 幸せな姿を見せることは大事ですね。何かを良くしたい、豊かな社会にしたいってデザインをしていても、忙しさにかまけて自分の生活をおろそかにしているのは良くないな、と。自分自身がまずそういう生き方をしていないと行けないし幸せに仕事をしていないと行けないって思います。
奥平 : 理想論だけじゃなくて、具体的にどんな道筋で形にしてくのかって「そこ設計じゃん!」と思います。プロトタイプで良いと思うんです。運用しながら磨いて行けば。それくらいの適当さで良い。
経験を積んだデザイナーから
若いデザイナーへ向けてのメッセージ。
奥平 : 今日は色々な問題意識を共有できて有意義でした。
最後に聞きたいんですけど、お二人は脂の乗った現役として沖縄をベースに最前線で活躍しているデザイナーなのでその立場から、今デザインを学んでいる人やデザイナーとして歩み始めた人、あるいはどこかへお勤めでデザインに従事している人など若い方へ向けてどんなアドバイスやメッセージがありますか?
古堅 : アドバイスと言うのもおこがましいんですが..。20代の自分へ向けて、と言うことならデザインの作法については先輩やデザイン事務所に勤めるなどして学べるけど、デザイン以外の教養を豊かにする事を20代の自分には伝えたいですね。
奥平 : 教養と言われてもピンと来ない、興味関心が持てない人に対して、とっかかりとしては何をすれば良いと思いますか?
古堅 : そうですね、デザインの事にしか興味が無いと言う人でも、表現を突き詰めようとするとデザインの対象を深く知ろうとするので、そこが何かに繋がってくるんじゃ無いかと思います。例えば学生の時に、当時活躍されているデザイナーさんの話を聞く機会があった事を思い出しだんですけど、日本に在来する蜂って体感の限界となる温度が外来種の蜂よりも1℃だけ高いそうで、なぜなら「外来種と遭遇した際に種として自分の身を守る為だ」と言う知識を語っていたんです。
その知識自体はデザインとは直接的な関係は無いですが、もし仮に蜂に関する展覧会のポスターデザインをする仕事で声が掛かったとしたら、そうした知識を持ち合わせているデザイナーの方がより良い表現、深みのある表現に繋がって行く。なのでスタートは表現を突き詰めるんだと言う気持ちで良いし、その結果、様々な分野の知識を追い求める事になるんじゃないかなと思います。デザイン以外の知識を豊富に得る事は、デザイナーの活動にとって、長い目で見てもとても大事な事だと思いますね。
奥平 : 表現域や奥行きは間違いなく拡がりますよね。すぐに役立つものでは無いとしても、その人の人生を豊かにしてくれますしね。一方で好奇心って大事なんですけどもレッスンや移転が難しいものでもありますね。
村山 : 自分はデザイン会社に入った経験が無いので、先輩や師匠と呼べる存在が居なくて、そうした人からグラフィックデザインを習った事がないんです。その事でコンプレックスを感じていた時期はありました。僕は珍しいタイプで、グラフィック、web、絵も描く。そのどれもが諦めきれなくて、ただ単に好きっていう気持ちだけで続けていて、おそらく人よりも歩みは遅かったと思います。20代からグラフィックデザインをやってきた人と比べてもアウトプットの数は少なかったでしょうし。
だけど今の年齢になって思うのは、自分のような手数のある人はあまり居ないんです。デザインができて、webの知識も持ち、コーディングもできる、絵の知識もある。でもやっぱりデザインを深めるってことは、大きな甕に水を一滴づつ溜めていくような世界ですから。それを焦らずに続けている内、その甕にある程度の水が溜まって来ると、自然と色々な展開に繋がって行った。そういう意味でも好きな事を諦めない方が良いんじゃないかなって気がします。何かしら続ける道を模索する事は必ず何かに繋がる。
もしデザイン以外の事だったとしても、何かに打ち込む事は人の心の機微を感じ取れる力にも繋がるんじゃないですかね。そういう意味では師匠や先輩がいない僕にとっては“世の中すべてが師匠”と言う感じですね(笑)。盗めるものは盗む、見ようみまね、みたいな(笑)。“奥にあるものを観る目線”ってのは色んな物事を経験する事で培われて行くんだと思います。
奥平 : まぁ村山さんのスタイルで成立している人は希少ですけどね。「安易に真似しちゃいけないよ」って感じもするんです。それはつまり村山さんのマインドセットやスキルセット、素地や素養も含めて色んな経験が集積して成立しているものなので。単純に村山さんの手法やスタイルをなぞるのは「危なっかしいからやめとけ」ってアドバイスしちゃうかもしれないですね。
古堅 : なかなか出来ない。
奥平 : “好きを続ける”と言うのも、それはもちろん強い事だと思うんですけど、じゃぁ“好き”と言ったって、例えば「グラフィックが好き」だったなら、「自分にとってグラフィックが好きな事の本質って何?」だとか、「グラフィックが好きだと言う想いは実は別の好きに繋がっているんじゃない?」って。そんな感じでその好きを分解してそこからエッセンスを取り出して抽象化してみる事で「自分の好きって実は色々な分野に応用できるかもっ!」みたいな発見ってあるんと思うんですよね。「自分の好きの置き所って、ひとつのジャンルや分野だけじゃなかったんだな」って言う。
村山 : それはあるかもしれないですね..。ニューヨークで活動している知人と話す機会があって、“最大の才能って続けられる”って事なのかもねって話題になった時に彼が「とは言え“好き”だけで続けられる世界じゃないよね」って話していて、確かに誰しもに当てはまる話しではないかもですね(笑)。
奥平 : 私自身の場合は「何かの行為が好きだから」と言うよりも、問題意識があってORIGAMIを始めたんです。なんと言うか…“より良くなっている状態”を観るのが好きなんです。「自分が通る前よりも通った後の方が物事の状態が良くなっているコト」が好きなんです。仕事には苦しさや難しさもあるけど、それ以上に“エクスタシー”が上回るから、なんだかこれまで続けて来られたんだと思います。村山さんと同様に特殊な歩みかもしれないですけどね。
村山 : 確かに..。デザイナーとして、一番の快感かもしれないですね。道を均して、さらにその先まで均して行けるって事は。
奥平 : 私からアドバイスするなら、若い人にはできるだけ感性を失わせて欲しくないですね。子供の頃はみんな瑞々しいものを持っていたのに、そのうちに周囲や環境に感化されたり、社会や組織に順応せざるを得なくて、いつの間にか失われて行ったり、あるいは自分自身で蓋をしてしまう。スイッチ切っちゃう。ただ感受性が豊かだと痛みも感じやすいから苦しくなってしまう。生きて行く上ではどうしてもあえて鈍らせてしまう事って、誰しもが少なからず通っていますよね。
そこを何とか自分の心を守りながら感性をうまく維持するチューニングを試してほしいなと。コツとしては何か違和感を感じた時に、それを単に現象として流すんじゃなくて、違和感として自分の中に起こったものをしっかり捉まえて、その根っこにある正体を特定する事だと思うんです。そうして行くとそれは好奇心に繋がったり、問題意識に繋がったりする。それが動機で行動に変わると強いですよね。揺るがない。自発的な意思にはエネルギーがありますから。そう言う態度を意識して欲しい。それだけで5年、10年先の未来は大きく開きがあるように思うんですよね。
古堅 : 奥平さんがちょっぴり年下の我々にアドバイスするとしたら?
奥平 : そうですね。睡眠をしっかり摂る。良く眠ることですかね。
古堅・村山 : おーっ。それ大事(笑)。
奥平 : 良く眠る事ってとても大事な能力だと思ってるんです。生きてりゃ毎日色んな事ありますよね、腹が立ったりやるせなかったり不安だったり…。そうであっても自分は今日は今日で精一杯やったし、今日は今日として心を清算して、「明日また頑張ろう」と、「さぁスッキリ寝るぞ」と(笑)。
古堅 : 大切だ(笑)!
奥平 : そんな感じでぐっすり眠って、次の日は少し朝日を浴びて、また頑張ると(笑)。
村山 : 本当っすね。
奥平 : 今日は随分とっ散らかって、また、大きな話にもなりましたが、有意義なセッションだったのではないでしょうか。お二人には時間を作っていただいて本当にありがとうございます。お互いに希望を感じてもらえるような背中を見せて参りましょう!
古堅・村山 : こちらこそありがとうございます(笑)。