測れないものの値段

AIに条件を渡したら、3分程度で12案のロゴが並ぶ。いずれも70点前後の出来で破綻もないし、クリーン、既視感がある。
っぽい、実にぽい。おそらく実務の多くの場面では、これで足りてしまいます。
平均的なビジュアル、平均的なUI、平均的な実装。その市場価値は、ゼロに向かって下がり続けています。構造としては新しくなくて、写真機は肖像画家の仕事を置き換え、DTPは写植の工程を消したし。技術は「十分に良いもの」を安く、速く、大量に供給する方向へしか進んでない。その対象のひとつが、デザインと実装の平均点だったというだけのことだ。平均点のデザインはすなわちコモディティ。コモディティの価格は限界費用に収斂し、生成の限界費用はほぼゼロ≒トークン代。ここに価格交渉の余地はなくて、あるとすれば、コモディティの外側の領域だけ。
世の中の発注の大半は何となく70点で目的を達するし、平均で良しとする判断は、多くの場合において成立する限り合理的だと思う。需要側も供給側も、当面はこの水準で回って行くのでしょう。AIへの忌避感が揺り戻しとして現れる可能性はあるのだけど、AIはその忌避の傾向自体を学習して、順応するのだろう。揺り戻しがあったとして一時的な現象に留まると見ています。
ただし、需要のすべてが平均に吸収されるわけではない。差異そのものが利益の源泉になる事業(価格競争から降りる必要のある企業、承継や転換の局面にある企業)にとって、平均は初めから選択肢にならない。市場は少しづつ縮小しながらも2層に割れるのではないかな。厚いけど単価のつかない層と、薄いが平均では応えられない層とに。
まず後者に向き合うしかないのだけど、問題は、後者に向き合うとき、自分たちの職能がどこに残るかだと思う。
一つの答えは、やはり現場にあるはずです。倉庫の雑作ない匂い、機械の音の調子、道具の扱い方、事務所の植物や空気感、経営者が「うちの会社そこそこです」と言うときの表情。現場の従業員だけが把握している、心の中に留めている何らかの蓄積、etc.。一次情報は検索やデータセットの外側に存在する蠢めく情報のこと。それをどれだけ広く、深く読み取れるか。読み取ったものを初期構想に変換し、戦略に落として、実施計画を経て、社会のなかで実際に機能する仕組みまで接続できるか。
デザイナーの職能の重心は、描画から、この一連の変換工程へ移りつつあると思う(突出したタレントや作家性は残るでしょう)。留意すべきは、変換の各段階で情報が劣化することだ。現場で拾った手触りは、提案書や企画書を経るたびに一般論へ丸まっていくので劣化を最小に抑えたまま社会実装まで運びきること。それがこの職能の中核になるように思う。コツはある。
付け加えるなら、この工程には2つの機能が含まれる。第一に、現場へのアクセス権と見立て方からの問いの創出まで。AIは答えを大量に返すけど、何を問うべきかは決めない。豊かな問い、その精度は一次情報の質にそっくり規定される。第二に、責任の引き受け。少なくとも当分、署名は人間の側に残るはず。
だから、当然ながらAIを敵とする必要もない。平均をほとんど無償で引き受けてくれる装置と見なせば、人間の時間は現場と変換工程と観察に回せる。道具の進歩で職能が消えるのではなくて職能の定義が更新されるだけだ。なのだが、その更新に間に合うかどうか。分岐点がたぶん、そこかな。
仮に職能の重心がこう移った場合、ブランディングという言葉の指す範囲も自ずと変わってくる。ロゴ・色彩・トーンの管理という定義は、すでに実態と合っていない。ブランディングは経営そのもののデザイン、事業マネジメントそのもののデザインへと領域を広げている。商品開発、事業開発、M&Aで統合した事業体のシナジーを育成すること、全社戦略、ブランドポートフォリオ。後継者不在の企業が何を誰に託すかという承継の局面。いずれも、ブランドの問題として現れる。
無形資産経営という言葉が言われて久しいけれど、ブランドはその中核にありながら、自社で築いたものは貸借対照表に計上されない。制度が測らないものを、経営も測れないまま扱っている。
抽象化すればこう言えるかもしれない。ブランドは意思決定のフィルター。良いフィルターを持つ組織は、迷わないし(あえて迷うと言う判断も含め)精度が高い。この価値は決算書には載らないのだけど、経営の生命力・意志力・推進力として確実に効く。

さて、ここからが本題ですが「決算書に載らない」ことを、どう扱うか。
優れたブランディングやUI/UXが経営に寄与することを、感覚的に理解している人は多い。ただしその感覚を得るに至った相当部分は、成功事例だけが流通した結果でもあります。同種の施策を打って成果の出なかった事例、あるいは静かに市場から退場していった無数の企業のデータは、表に出てこないだけで確実に存在する。私たちは生存者が語る煌びやかな物語だけを見て、その影にある広大な分布は見えていない、分からない。
さらに、成功の内実が因果として分解可能とも限らない。特定の施策が効いたのか、それとも、ブランディングの要素が粘菌のように組織の隙間へ浸透し、採用に、会議の質に、価格決定の姿勢に、波及的・反復的に影響した結果なのか。あるいは、もともと優れていた経営体に欠けていた最後のピースがはまっただけ、という可能性もあるし。ブランデイングの効果は、施される側の経営の健全度、経営者の人格、組織の成熟度、美的リテラシー、時代背景、体制に依存する。
費用対効果が単純に算出できないのは、方法論の未熟さだけではなく、対象の性質にもよるものだ。無数の対象の固有性の前に普遍的な方程式がハマらない。
長くこの仕事をしてきての、これは実感でもあります。
それでも、この論点を放置すれば、ブランディングファームもデザイン会社も、価格の根拠を平均点の相場に引きずられ続けることになる。越えるための手立てとして、現時点で想定しているのは4つ。クライアントの理解が大前提であり、同時に私たち自身にとっても財務やリソースの負荷を増大させる、リスクの伴う選択です。
1.見た目の変化ではなく記述。単発のビフォー・アフターではなく、指名検索の推移、採用応募の質、離職率、値引きなしで成立した商談の比率といった代理指標の束を、正直な注釈つきで経年記録する。形式は問わない。年次のレターでも、簡素な定点観測の公開でもいい。因果の証明は難しく、どこまでいっても外部要因との「相関」に過ぎないという厳然たる事実は残るのだけど、経過の記述は可能だし、その蓄積はやがて別の説得力を持つはず。
2.着手前の診断。効果が相手の状態に依存するとしたら、その状態を測る工程を前段に置いて見る。経営健全度、組織の成熟度、美的リテラシーの現在地を診る問診を、独立したサービスとして設計する。残念ながら投資対効果の見込めない案件を引き受けないという判断も、ここから可能になる。これはクライアントに“現時点で”間違った投資をさせないための経営判断に繋がるが、ベンダー(つまりORIGAMI)の短期的なキャッシュフローを削る諸刃の剣でもある。
3.失敗の開示。守秘の範囲で、成果の出なかった事例とその要因分析を公開する。成功事例しか流通しない業界において、影を含めて語る事業者は識別可能にはなり得る。誰かの成功の再現を追うことよりも、失敗の再現性を避けることの方が事業の生存確率を高める。
4.契約の時間軸の変更。単発の納品ではなく、年単位の伴走、あるいはレベニューシェアへと契約の形を移す。浸透に時間のかかる作用を四半期の物差しで測ろうとすること自体に無理がある。観察の期間を、作用の速度に合わせる。自治体の助成金・補助金事業の頓挫は、形式成果を求める単年主義の因果にも共有する。
なお、この4つはいずれも、資本の厚い、常に株主を意識せざるを得ない大手より、現場との距離が近い小さな会社にこそ実行可能性が高い。診断も記述も、相手の経営に近いほど精度が上がるから。現実的かと言われれば、どれも相応の時間を要すので短期的な経営成績追求には不向きですね。現在地点の思考実験です。
ただし、ここにも別の不確実性があります。私たちが「人間にしかできない聖域」だと信じている現場の空気感の読解や、問いの設計すらも、マルチモーダル(人の心拍や体温、脳波も含め)AIの進化によって、いずれ高い確率で先回りして出力されるかもしれない。その時、この4つの手立ては単なる時間稼ぎの延命策に過ぎなくなる。小さな組織が背負うこの高コストな誠実さが、最後まで機能するかどうか。
平均が無料になっていく過程は、まぁ止まらない。その世界で価格に差ががつくのは、一見測りにくいものに限られていく。でも測りにくさを言い訳にせず、記述し、診断し、開示し、時間軸を合わせる。地味で、時に自虐的とも言える作業だけど、この職能が次の局面へ進む通路は、今のところはおそらくこのあたりだろうか。