ブランドデザイン : 株式会社折紙 / ORIGAMI INC. | 沖縄 – 東京

2020-04-20

新しい世界が出現した

新たなパラダイムへとグラデーションのように移行していくのだろうと思っていたが、まさか疫病によってパラダイムどころか新しい世界が出現する事になろうとは。

現在、終わりのない前線で医療や社会の崩壊を防ぎ止めている様々な立場・役割の方々を考えると心苦しい。困難な状況に喘いでいる人たちを前に、大して何かをして差し上げることもできないけど、とにかく誰もが耐え凌いで生き抜くしかない。

目の前の事象においていくつかの中長期シミュレーションができるが、当然最悪も想定しておかなければならない。
すでに、with corona・after corona・post coronaなど世界中で様々な論考が展開されている。
中には真摯で有用な仮説もあるが、ポジショントークやミスリード、つまらないマーケティングを忍び込ませているものもある。
さらには自らを覆うバイアスも忘れずに、限られた視点に固執はしないでおこう。
だけど「元の世界や社会には戻らないだろう」という理解は、これの良し悪しは抜きにして適当だと思う。

日本に、沖縄に生まれ、昭和、平成、令和を経て、20世紀と21世紀の100年と1000年の節目を跨いだ。そこへ来て、まさにリアルタイムで現れる世界の転回を一オーディエンスとして目撃している事の壮大さに不謹慎ながら高揚してしまう自分もいる
振り返れば、グローバル化やインターネット革命、ユーロ、科学技術の発達、環境汚染、9.11、3.11、テロや難民問題、中国の台頭、トランプさん、ブレグジットなど全てがパンデミックへの伏線だったようにも思えてならない。
(個人的にはノートルダムや首里城の消失も)

さて、事業者はどうすべきか。とりあえずの終息までにはワクチンが開発され量産化されるまで、あるいは集団免疫という状態が成立するまで、小康・拡大を繰り返すだろうし、ウイルス株も変異している。生物と非生物の境界にある曖昧な存在は分からないことだらけだ。終息までに幸運ならば1年、現実的に評価して3年、シビアに見立てれば5年〜10程の年月を要すのではないかと思う。あるいは終息はなく風土病として共生していくパターンも考えられる。
3.11からの復興を重ねる人もいるが、今目の前で起こっている事は完全に別次元への臨界点。
大きな流れに抗うと呑み込まれて溺れる。
新しい世界に立っても事業の価値を創出できるなら、あえての冬眠、仮死状態に置く事も選択肢から排除しない方が良いと思う。

こうした状況下、長期戦を覚悟しつつドラスティックに変容する社会、人々の生活や意識の変化、防衛本能、新たな消費性向を洞察しなければならない。人間の根源的な欲求や素朴でクリアな心象風景のインサイトにアクセスする必要がある。
社会に本質的な価値を創出できない事業やその周辺はハッキリと存続が難しくなる。
また、既得権益や地盤、“顔的”な影響力で成り立っていた事業もそうだ。
コマーシャルなラグジュアリー、過剰なサービス、耐久消費財なども、この時世において支持されるとは思えない。(一部の享楽的な生き方の人は除いて)

日本社会の嘘のコストは激減するのではないか。不毛な会議、ポーズやアリバイの仕事、無意味な移動、保身やメンツからの情報統制、権威を維持する為の商慣習、人の幸福に繋がらないマネジメント、こうした事の欺瞞がブラックスワン(予見されていたから意外とそうでもないが)によって顕になろうとしている。借金だろうがとにかく手元資金を厚くする、という判断は社会構造が変化しない前提においては無条件に大事だ。時間稼ぎの間に対策も考えられる。政府の支援メニューも使えるものは堂々と使えば良いと思う。ただこの瞬間全世界で起こっている事は今までの延長線上にあろうとするものを容赦なく峻別する。

分かりやすいトレンドとして、非接触(いわゆるソーシャル・ディスタンシング)の流れで様々なサービスが現れるのは自然だと思う。
しかしだからと言ってAR、VR、AIというのもツールに過ぎないし、動画コンテンツ配信やネット販売というのもチャネルに過ぎないわけで全世界から膨大なプレーヤーが参入すれば(すでに飽和状態だが)価値を安定供給できる群れとそうでない群れとの開きは加速するのではないか。供給過剰なら相対的に減価する。
また、公共サービスや教育、医療のほとんどがオンラインへ移行するのも、すでに時間の問題なんだろう。自動運転も早まりそうだ。
人と人が接する事で感動が生まれていたサービスは、かつてあった懐かしの光景のようになっていくのかな。透明の全身シールドでも作るかな。

飲食業に携わる方々からの悲痛な声からは徐々に打開する意気にも限界が来ている事を感じる。もちろん飲食に関わる業種・業界・産業もそうだ。「食に対する需要は普遍だから今の状況はチャンス」などと軽く言う人もいるが、そう単純ではないだろう。ランチボックスやデリバリー、出張シェフ等の試行はその価値の一部を手っ取り早く抜き出した延命策として対応しやすいかもしれないけど、固定費を抱えいつまでも延命ができる訳ではないし、特に個人の飲食店は単に料理やカロリーを売っているわけではない。店構え、アプローチ、インテリアや音、カトラリー、香り、テーブルや椅子、店主の人柄、スタッフのサービスといった舞台装置の上でプレゼンテーションされるプレートやお酒、その場で過ごす時間の総合体験や世界観に客はお金を払う。しかしこれとてバイアスかもしれない。非接触と総合体験の相反を両立させた止揚のアプローチが生まれてくるのか、もはや必要とされない社会になるのか。

ブランドデザインはどうあるべきだろう。ブランドたる事業の創造・発展・持続を事業戦略とクリエイティブ、実体創造とコミュニケーションデザインの四輪駆動で実装する、そのために必要な全て、というORIGAMIの基本姿勢は変わらない。元々社会の持続性や景観を毀損してまで営利を追求するビジネスには否定的だった。まだ明確な答えは無い。世界経済はリセッションに入るし、ここまで消費のあり方やその目的が変化した以上、新しい世界で真に必要とされるデザインやソリューション、ツールとは何だろうと、日々考えさせられている。ただこれまでよりも遥かに柔軟で包括的、公益性の高いアプローチが求められてくる事は間違いないと感じる。一方、消費者や生活者の繊細なインサイトにさらに深く注意を向けた態度も欠かせない。従来のマーケティングやコミュニケーションがいかに騒がしく慇懃無礼であったか大いに反省が必要だと思う。

最後に、子供や若者にこの事象と未来をどう伝えるのか。狼狽える大人の姿を子供が見ている。大人の不安感で空が暗い。誰しもがそうだろう、これまで培ってきた立場や仕事、事業や生活を失うかもしれない。大事な人を守れないかもしれない。発症すれば周囲に多大な迷惑をかけるかも、苦しんで死に至るかもしれない。何もかも見通しが立たない。しかし、今この世界を引き受けなければ、思考は恐怖の側に流れていく。これが子供や若者に伝染する事が疫病よりも余程恐ろしい事だと思う。非常時にこそ真価が問われる。
希望を言えば、これからの世界で起こるかもしれない事、自分たちに降りかかるかもしれない影響や変化、困難、しかしそれでも現実を見据え、新しい世界でも生き抜いて行くから大丈夫なんだと伝えて欲しい。腹を括った覚悟があるなら、その上で楽観するのも良いと思う。

 

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