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2018-07-31

それでも痛いおっさんになって行くのか

先般居たたまれないweb記事を目にした。「なぜおじさんは殊更、空港の写真をSNSにあげたがるのか」というもの。ある20代女性がそんな素朴な疑問を投稿したら波紋を呼んだという内容だった。分かる。たくさんいる。すぐそこにいる。まぁ分析するほどの話でもないだろうけど。わざわざ「そう、私は今、空港にいる」とアピールしている写真をSNSにUPしてるおっさんに共感はしないし、多分友達にもなれないが、気持ちは分からなくもないですよ。大体頻繁に飛行機で移動してたりする人なら、そんなタイムロスにしかならないこと考えも浮かばないだろう。しかしながらですね、年に1~数回程度飛行機に乗るようなおっさんにとって、様々な人生が交錯する空港という巨大装置はいつも新鮮で、キャリーバッグという小道具も効果、密かに高揚し、自分も二割増くらいで哀愁漂う男になったような気分にはなるかもしれない。何の事も無い低空の日常が繰り返される人生、そんな属性から一時解放されてのテイク・オフですよ。晴れのイベントですよ。年甲斐もなく新しい何かが舞い降りるかのような束の間の勘違いくらい大目に見たげましょうよ。あと会員ラウンジ使ってたり、国際線の搭乗だったりすると、何となく誇示したいステータスもございましょう。休暇や旅行自慢とか。それと単純に男子の場合はメカメカしい金属質な空間や乗り物を前にすると、ついくすぐられるものはあるかもしれませんね。

人間誰しも価値のある存在だと認められたいわけじゃないですかー。「もう温かい心持ちで許してあげようよ」とも思うのだが日本社会も随分と包摂性が失われてしまって、ビクビクと辺りに気を配らなければ、この「潔癖な空気を汚した」と固い人差し指を向けられてしまう。ビートたけしにさえ痛ましさを感じてしまう今日この頃、平成とともにひとつの時代も終わろうとしているのですね。痛いおっさんに面と向かって「あなたのそういうところ、相当痛いですよ」とは言えないし、ご本人も自分が痛い奴だという自覚がある筈も無く、SNSによって痛さだけが一人歩きして増幅されていくという残酷な現代社会。40代、50代ともなると、家族以外に率直な物言いをしてくれる人が極端に少なくなるのも寂しいし危険ですよね。「それがどうした、俺は俺だ」と開き直れる人は、ある種の自覚や自信があるので、痛くはならない(また痛さとは異なる面倒臭さはある)このやっかいな「痛いのに自覚のないおっさん」問題について(自覚がないから痛いわけだが)、では他人に痛いと感じさせないためにはどうすれば良いのか。何を持ってして痛いのか否かの線引きは受け取る側の感性によっても難しく、事実、同じ行為でもセクハラと糾弾される人と何だか許される人がいる事にも共通しますが、端的には客観視なんですよね。客観するためには想像力が必要だし想像力は愛情です。おっさんの皆さん、共に手を取り、柔らかい心と愛情を持って新しい時代を切り拓いて参りましょう。

 

 

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