ブランドデザイン : 株式会社折紙 / ORIGAMI INC. | 沖縄 – 東京

2017-03-07

仕事がなくなるかもしれないデザイナー

AIの台頭で「どんな仕事がなくなるのか」とか、「私たちの仕事が奪われるのでは」とか、到来を見越して「子供にどんな教育機会を与えるべきか」といったテーマや議論がホットなようです。世の中には実に多彩な職業や嗜好がありますから、何が消えて何が残るということは分かりませんし、一応の見解はコンピューターサイエンスや社会学の専門家たちから発せられています。社会の風景がある時突然一変するとは考えにくく、グラデーションの中で私たちも少しづつ慣らされていくのでしょう。2020年東京五輪などの契機にも乗じシュリンクする日本社会の要請とシビアなシミュレーションには確率論として応えていかざるを得ないと思います。

ただAIというのも道具ですから、無自覚に過ごせば道具を使う側と使われる側に区分けが生じてしまうのは想像できるはずです。たとえばスマホなど顕著ですが、この壊れやすい板状デバイスに思考や行動をコントロールされているような消費者層は確かに存在するように見渡せます。依存症から脱するためにこれを取り上げ山奥の合宿所に一定期間軟禁するプログラムでは携帯ショップにディスプレイされているような抜け殻を持たせることで気分がやわらぐとか。没入できるサードプレースにときどき逃避したいのは分かるのですが哲学的ゾンビかの様子は身内ほど不安と戦慄を覚えますよね。

自らの分野の部分としてデザイナーに関して言えば(設計にも色々ですからグラフィックにしておきましょう)仕事がなくなるかもしれないと感じてしまう方やそんな場面に出くわすことはあるのです。これまでにも散々指摘されてきたベーシックな話、例えばビジネス的な理解やコミュニケーション能力、美的センスはもうひとつなのにプライドだけは直立不動とか、そもそも社会人としての振る舞いがおかしいとか、そうした人物はデザイナーに限らずやはり居場所は限られてしまいますので傍に。テクノロジーに代替されるという観点からいくと、ある程度整ったアウトプットはもうすでにAIでやれているという実情があります。レ点の設問に答えれば自動的に依頼主が求めているような、ちょっとイカしたグラフィック一丁上がりというものです。人間にガッカリして傷つくリスクも避けられ、知り合いの紹介だから断れないなどのストレスもなく、何よりスピーディーで安い。見栄えがあればそれで十分じゃないかと考える人は少なくないでしょう。今も未来も変わらない属性です。

では仕事のオファーが途切れないデザイナーとなるために、どんな能力やセンスを磨くべきか、そのためにどんな視点や観点でどのような訓練・練度が必要となるか、これはリベラルアーツの世界なので、みなさん人間としての総合力を高めましょう!という輝かしい結論への到達です。ひとつ思うことは絵を描くことやアウトプットが別にAIでも構わないのではということです。AIに、より精度の高い仕事や設計をさせるという選択肢も有用だと考えています。そのためにはAI側では到底察したり収集したりすることが困難な(主としてセンシティブと大局、異なる階層や異文化を相対化して仮説を立てる)情報を導き出し与え指示する、インプットするという工程をデザイナーが担って行けば良いのではという提案です。どんな業界でもコモディティは起きますし、選ばれるためのコミュニケーションデザインはこれからも重要ですから依頼主の問題を特定し解決策を提示し実装、その進行をディレクションするという現在のサービスの姿はほとんど変わらず、中間にうまくAIを取り込んで活用するイメージです。必要なAIプログラムを設計開発してしまう手もあるでしょう。近未来のデザイナーはコンサルタント、カウンセラー、社会学者や心理学者を足して割ったような存在かもしれませんね。なんだかんだ言って人は生身の人間を感じて理解し合いたいんじゃないですか。

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